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どん底の女

年末から年明けにかけて、結構重たくて辛い出来事に見舞われている。

電話やメールで連絡をいただくのはうれしいのだが、絶望的な状態になってからの相談や連絡が来ることが多い。

もうだめだと感じるときに、私を思い出す人が多いようなのだ。

どうやら私は、楽しいときではなく、どん底になってはじめて思い出されるポジションにいるらしい。

昨年は、本当に悲しいことに敬愛する亀渕友香さんを天に送り、年末には若き日の文通相手で幼なじみの友人を天に送った。

正直なところ、ヘヴンズガーデンという働きをしていることもあり、天国はそれほど遠くに感じておらず常日頃からとなりにある気持ちでいる。

親友に言わせると、私には生と死の境目が稀薄に感じられるらしい。

実際に、母を失った25年前から、わたしの半分が死んで天にあるような心持ちで生きてきたので、たしかにそうかもしれないなと思う。

しかしだ。

存在が、肉体の存在がなくなるのは極めて寂しい。
師匠・亀渕友香さんの場合は教えていただいたスキルが体に染み込んでいるので、寂しいなんていっている暇があったら歌わなきゃと強く感じている。最近は毎日、欠かさずやるように言われてきたトレーニングを再開して続けている。

幼なじみとは約30年ぶりに再会して半年後にいなくなられたので、今もまだ辛い。

実を言うと、友香さんからは闘病に入る際に連絡をいただいた。
そして、最後のある期間をいっしょに過ごさせていただいた。

幼なじみからは、入院中に電話をもらって無菌病棟で2回ほど会うことができた。

そのときの電話を今もよく覚えている。

「のぶえちゃん、もうね、おれ骨と皮だけになって死にかけとるのよ。メリークリスマス、MR.ロレンスのデヴィット・ボウイみたいよ。あなたちょっと見舞いに来てくれんね」

なぜだろう。
せめて坂本龍一くらいの時に連絡をくれなかったのはなぜだろう。

案の定、遺言めいたお願いをいくつか引き受けることになり、見舞いにいけばめくれていないところを探すのが難しいくらいカサカサになった全身をトリートメントした。

もう少し早く連絡ほしかったなあと思ってはみたが、もう毒づくことさえはばかるほど弱っていた。

ただこの人は生きる気満々でいてくれたのが救いだった。

「退院したらふたりでめかし込んで、ソウルバーに行こう」と、デートの約束を交わしたのだ。ふたりともいい大人なのに、なぜかうれしくてその日が来るものと信じた。
こんなこと言える人、素敵だなあとワクワクした。


ある女性は、食事しながら泣き、苦しみを吐き出したが、ある料理を口に入れた途端「うわー!!これおいしい!!」と表情を一変させた。

こういう人が私は大好きだ。
泣きながらご飯が食べられる人は、生きていけるという台詞をあるドラマで聞いたけれど、さらにおいしいと言える人は必ず幸せになる。そう信じている。

年明けも、先週も、今週も。
重たい相談はやって来る。

たまには元気でハッピーなときに「のぶえちゃん、今度の休みにデートしない?」というお誘いも来てほしい。どんなに嬉しいことだろうと思う。


でもね。

絶望的な状態に陥ってからの連絡を受けるたびに、自然に心のなかにわきあがってくる気持ちがある。

それは、よかった、私を思い出してくれて。
本当にありがとう、という気持ちだ。
ひとりで辛かっただろうな。苦しかっただろうな。よく話してくれたね。
ありがとう。

今夜も私はどん底で、相談に来てくれた人を思いながら祈っている。





by kakunobue | 2018-01-22 19:07 | エッセイ

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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