Heaven's Gardenができるまで①

1993年5月、母を失くした後、身を裂かれるような心の痛みに苦しんでいた私の隣に、心やさしい友人たちがいて、長い時間を費やして、ボロボロの心を癒し、投げやりな私を受け入れ、そして、再び生きる希望を見出させてくれたことは、ブログにも何度も書いてきた。その手間、暇、そして心のこもったいのちの再生のための作業は、その後の人生に、生きる意味をもたらしてくれた。
それは、いつか心の疲れた人を迎えて、ゆっくり休んでもらえる場所を提供する働きをしたい、というものだった。
私個人の夢などというものではなく、ある意味で、神さまから与えられたミッションだった。なぜなら、私はそのことのためだけに生きようと決心したから。
言葉、文章、音楽を手始めに、絵本、羊毛、お茶、お料理と、20年の間にその日のための準備を整えてきた。
いろんな人がミッションを受けて人生の方向転換をする。神学校に行って牧師になる人もいれば、海外青年協力隊に参加する人もいるし、宣教師になる人もいるだろう。私の場合は人生をかけて、そのような場所をつくるというものだった。私の意志ではない。神さまの意志だ。

2010年、当時、横浜に住んでいた私に、拠点を構えるなら九州がふさわしいという導きがあり、2012年、導きのままに福岡に移り住んだ。そろそろ機が熟しているのを感じた。

そんなことなどまったく知らない人から、昨年の9月に福岡にある一戸建ての物件を管理してもらえないだろうか、という話しを持ちかけられた。その方はふだん福岡から離れたところに暮していて、家と庭のみかんと柿の木が気になっているという。「何に使ってもいいから」というのでその場で神さまに感謝して、ありがたくその任を受けることにした。鍵を送るというのだが、待てど暮らせど届かない。柿はおろかみかんの季節も過ぎ去った。
問い合わせたところ、「鍵が見つからないので、もう少し待ってほしい」とのことだった。

20年間待ってようやくたどり着いたと思ったら、最後の最後に鍵がないという話は、とても間が抜けていておもしろかった。カナン入植を目の前に難題課題が与えられる出エジプトのイスラエルの民のようではないか。

2013年3月10日、私は「Heaven's Gardenの祈りうた~福島の子どもたちへ~」の際に、私の取り組みについて紹介し、みなさんの気持ちを和ませたくてこの話をした。MCとしては成功し、会場のお客さまもくすくすと笑っておられた。
「……ですから、もしこの会場に、物件の提供を考えておられる方がいらっしゃいましたら、ぜひ、物件だけでなく鍵もですね、ご提供願います」
くすくすくす。

演奏会が終わりほっとしていると、前方にすわっておられた女性から声をかけられた。
「どのような物件をお探しですか?私が管理している家がありまして、もし使ってもらえるなら、こういう働きのために使ってもらいたいのですが」
「鍵は?」
「もちろんあります。私が管理しているのですから」

彼女に連れられてその家を見に行ったのが4月のことだった。
着いてひと目見た途端、度肝を抜かれた。
こんな家なのだもの。
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言葉が出なかった。隣に古墳があって、しばらくその丘に立ち、神さまに祈った。
「神さま、私はたしかに物件を求めていました。そしてあなたの導きにしたがって福岡にも来ました。
しかし、これは立派過ぎやしませんか?本当にここでいいのでしょうか?」
その時、杉の木立を縫って一筋の風が吹いて私を通り過ぎていった。
「ここまであなたを連れてきたのは私だ」

風は神さまの声に聴こえた。
足元にはわらびがすっくと背筋を伸ばして生えており、きゃしゃな体にこぶしのような頭を天に向けて生えており、私は同じ格好をして感謝の祈りをささげた。
「ありがとうございます。もう自分の声に惑わされないようにします。弱い心を赦してください」

管理されている方に、「もったいないほどの物件ですが、導きと信じて使わせていただきます」とお答えした。
彼女は私と出会う前から、「この家が神さまの御用のために用いられますように」と祈ってきたと話してくれた。

りっぱなお仏壇もあり、私たちはその前でこれからのHeaven's Gardenのことについて話しをした。

それからほどなくして、先に紹介された物件にかつて住んでいたという方に、偶然、スーパーマーケットで会った。なんと、その家の鍵を持っているという。
(つづく)
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by kakunobue | 2013-09-03 16:50 | 日記 | Comments(0)

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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