小さい人に聞く

教育関係の仕事をしたことはないけれど、よく子育て中のお母さまがたに、子育てについての質問をされることがある。

聞かれるたびに戸惑うくらい、親として大したことをしていないので困るのだが、数少ない心がけを話すようにしている。参考にならないかもしれないけれど覚え書きとして書いておこうと思う。


①3歳までは叱らない

息子が3歳のころ、教会の子どもたちといっしょに教会学校で過ごす時間が長くなり、私も未就園児や園児さんくらいの子どものクラスの担当になった。ひよこ科さんのクラスだった。
あるスタッフが、「小さいからわからないから、いっしょに遊びましょう」と言ったのだが、小さい人にはわかることがあると私は思っていた。それは、どんなに小さくても、自分を大切にしてくれるかどうか、尊重してくれるかどうかということだった。

言葉がわかるようになる前の3歳未満の子どもには、こちらの都合ではなく相手の都合を優先するようにして、その時に生じる危険を取り除く作業を大きい人はするように心がけた。
そして話せなくても真似をするのが上手なので、楽しい雰囲気をたくさん作ることにした。歌う。笑う。くすぐる。いっしょに寝転がる。音を出す。手をたたく。草を抜く。石を拾う。風の音を聴く。新聞紙やいらない雑誌を破る。できることはたくさんあって、いっしょにやってくれる人がいるともっと楽しいと感じるようだった。
自分といっしょに楽しいことをする人=自分を大切にしてくれる人 になるのだと思う。そこに基本的な関係が生まれると思う。


②3歳からは言葉で

3歳になると(最近は情報が多いので2歳の後半からという場合も多い)言葉がわかるようになるので、この道具を使うと小さい人も満たされた気分になるようだ。大きい人は、小さい人がやることを理解できずもやもやするけれど、何でも聞けば教えてくれる。どうして?という質問を小さい人がするように、大きい人もどうして?と聞くのがいい。小さい人はちゃんと答えを持っている。
同じように叱るときも、言葉で説明するとよく理解できるようになっている。こうすると痛いよね!?痛いとうれしくないよね。じゃあ、こうするのは…?という具合に。小さい人の方が実はものわかりがよかったりする。それでもやりたがるときは、代わりにできることをいっしょに考える。
息子が幼稚園児だったとき、絵本を2冊読んでも寝ようとしないので「どうして?」と聞いたことがあった。「だって、眠ると目が見えなくなるから、お母さんといっしょにいられなくなる」という。やれやれ。どこかで私を困らせないでと思っていた私は砕かれた。ぎゅーっと抱き締めずにはいられなかった。
理解できないことは小さい人に聞くことの大切さを知った。

やんちゃな小学生時代は言葉でも通じなくなる。嘘もつく。苦しんだあげく、放っておくことにした。どうにかしようと思ってもならないことは、神さまに任せた。命の危険さえなければいい。


③親にできること

私が親としてできる唯一のことは、環境を与えることだと思っている。
そのひとつが人だった。いろんな人に会わせるのが大切だと思った。親の考えだけで育つ子にしたくなかった。いろんな人を見て、その中から自分の考えや見本を見つけてほしい。
教会もそうだったが、私のまわりには幸いなことに変わった人が多く、私も尊敬できたり、いろんなことを教えられたりすることが多かったので、友人知人にもよく会わせた。
まじめな人にも、酔っぱらいにも。ホームレスのおじさんにも大学の先生にも。意地悪なおばさんにも、もののけのような女性にも。
むろん、本物にもたくさん触れさせた。雪山でスキーを楽しみ、沖縄で海を満喫した。登山にもつれていったし、美術館にも行った。坂本龍一と大貫妙子のコンサートにも、映画館にも。
あとは味覚を大事にしたくて、10歳までは手作り菓子や手料理を心がけた。
いっしょに作りたがったことと、私の力量不足のため、ゼリーやパンケーキなど簡単なものばかりだった。



昨年息子は一貫校の高校に進学した。
そして半年でやめた。
その前の中学から環境になじめずに苦しんでいたので、やめたいと言われたときは、いいよ、とすぐに答えられた。
理由は、「人生の目的を探したい。少なくとも受験が目的ではないとわかったので、今の学校はもうやめたい」というものだった。

自分で考え、自分が大切にしたいものを守り、自分が進むべき道を探そうとしていた。

親としての動揺は大きかったが、同時に、おもしろい人生を選んだなあと心底感心した。

そして心のどこかで、ああ、もう私の出番はないなと感じた。

来月、彼は自分の目で確かめて見つけた行きたい学校に進むために家を出る。
あっという間の16年だった。たくさん悩んで努力して、成長させられた16年だった。

これからも親としての悩みはあるかもしれないけれど、これまで通り、ひとりの人としてお互いを尊重できる関係でありたいと願っている。
いろんなシャワーを浴びせることだけを大事にしてきた。どんな風に輝いていくか見まもっていきたい。

雨も雪も、一度天から降れば、空しく天に戻らず、大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る言葉も空しくは私のもとに戻らない。イザヤ55章10~11節
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by kakunobue | 2016-03-14 08:53 | エッセイ | Comments(0)

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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