安堵のなかの涙

昨夜は、久しぶりに泣いていた。

ここ数日、浴びるように素晴らしい聖書のみ言葉やメッセージを受け取っていて、神さまがいてくださって本当によかったと平安をいただいていたのにだ。

理由はたぶん、泣きたいから。

マタイ受難曲の本番が迫っているのに、扁桃腺のぐあいが悪く声が戻らない。
腰も痛く、鍼に行く。

CDを聴きながらテキストを追う。

なんて素晴らしい作品なんだろう。
バッハの神への愛と信仰を痛感させられる。
イエスの愛の尊さ、自分の罪深さが浮き彫りになる。

憐れみたまえ、主よ。

夕方、読者さんからメール。何十年も、深い悲しみとともに歩まれている。

「幸せになりたいですって、神さまにお祈りしました。こんな風に思えたのは、初めてのことでした」

体の奥の深いところに染みて、喉を潤すように食べていた巨峰の露といっしょに私のからだの一部になった。

夜、眠るときにボイトレの恩師からメール。
今の喉の状況やマタイ受難曲の素晴らしさを一気にレス。

「導かれてここまで来たのだから、何が起きても学ぶでしょう。楽しみですね」

きっとそうなのだ。

この無力な、いや、弱った状態でしか受けとることができない、神さまの愛がある。

私よりもうんとたくさんの痛みや苦しみを体験し、乗り越えて、なお歌い続けておられる先生の懐に抱かれたようで、安堵したら泣けた。

朝から、階上の子どもが泣いている。安心して泣いている。

イエスの十字架の苦しみのなかで、私は安堵して歌う者となりたい。

さて、今日はゲネプロ。プロの方と同じステージに立つ。天の軍勢が降りてくるようでワクワクしている。

あの美しいステージに、神さまの祝福が豊かにありますように。
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by kakunobue | 2016-11-03 08:44 | エッセイ | Comments(0)

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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