幼い日の記憶

今朝、見るともなく朝ドラを見ていて、ある台詞にはっとさせられた。そして今日は1日中、その台詞が耳のそばに転がっているような感覚が続いた。

言葉の細部は曖昧なのだが、子どもの頃に叩き込まれたことが、いずれ役に立つことがある、といった内容だった。

最近、玄米を主食にするようになった。

最初はダイエットが目的だったが、以前から玄米が食べたいなあと思う日が、割りと頻繁にあった。家族がいるとこういう場合、難しい。ひとり分だけ玄米にする手間も煩わしい。ところが、どうしても玄米が食べたくなったので、大量に炊いて自分の玄米は冷凍し、家族の白米は普段食べる分だけ炊くようにした。

安心して玄米を食べるようになると、やっぱりおいしい。
白米も、特に新米はおいしいとは思うのだが、私は玄米の持つ弾力や穀類特有の歯応えに心地よさを感じるのだった。
もちろん体のお便りも快調となり、体重も順調に落ち始めた。玄米だけが理由ではない。快脹となると体の中がきれいになるのがわかるので、体に負担がかかることをしたくなくなり、アルコールやスイーツを控えるようになったのも体重減少の理由だろう。

なぜ私は玄米が好きなのか?

父親の座る位置に必ず玄米をいれた一升瓶が置いてあり、そこには棒が差し込まれていた。父はよく不思議な歌を歌いながら、その棒を上下させ、玄米の糠を落としていた。歌がおもしろいので、よく「私にもやらせて」と、歌いながら棒をついた。

ツンクリメンタカリンカンキョウ…

意味はわからないが、玄米の歌として記憶している。それでどのくらいの糠が落ちていたかは定かではないが、そうやって手をかけた玄米を食べるとおいしかった。父は、オートミールなどもよく食べていて、穀類の味をそれとなく教えてくれていたように思う。

玄米に限らず、最近、本当に「そういえばお母さんはこんなことしてくれていたなあ」とか、「ああ、私はやっぱり歌が好きだなあ」とか、気づくと子どものころに集中してやってもらったことや、夢中になったことに今、本当に助けられている。

幼き日の記憶、それは大きな宝物である。
未来の私になにかプレゼントしたいなら、幼き日にいろんな経験をしたり、たくさんの出会いを引き受けていくのがいいように思う。

今夜は「100年ごはん」というフィルムを見に行った。そこで配られたミニ弁当の主食は、もっちりとした酵素玄米だった。有機栽培のお野菜は、何れも畑の風景が目に浮かびそうなくらい、しっかりとした味を持っていた。

よい土によい種。
よい心身によい出会い。

大事にしたいことのひとつだ。

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by kakunobue | 2016-12-09 00:00 | エッセイ | Comments(0)

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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