4月の終わりの日曜日に、東京の教会に招かれて賛美と子どもメッセージの奉仕に出かけた。
親しいクリスチャンファミリーもその教会にはいて、みんなで心待ちにしてくれていた。
なかでも、
小さい友だちのノブマロは、毎週毎週教会に着くなりわたしを探していたという。「のぶえさん、来た?って、いつも聞くんですよ」とパパ。
「来るよって言っただけなのに、毎週聞かれるの」とママ。
「ノブマロくん、ずっと楽しみだったみたいで」と教会の人。
かくして、この日曜日、スーっとわたしのところに来て、にこりともせずわたしの足元にくっついてきたノブマロ。小さな体を抱き締めると、うんとうなずいてどこかにいってしまった。
この日はいったい何人とハグしただろう。
かつていっしょに笑いあった友、歌った友、泣いた友、喪失をともに乗り越えた友、うつをいっしょに受け入れ、そして克服した友、不妊を祈りあった友、新しい友、古い友…再会はタイムマシンといった人がいるけれど、彼らと抱き合ううちにわたしも時間の波間を漂っているようだった。
ああ、生きていればこうして、笑って会える日が来るのだと、神さまのあわれみに、ただただ浴する他なかった。
大人はそれでいい。小さい人はそれだけではいけないのだ。
訳あって、ノブマロの家に泊まることができなかったのだが、別の小さい人の家に泊まると、どういうわけかずーっとヘヴンズガーデンの話とジャックが通う高校の話をねだられた。
ヘヴンズガーデンには、いのししや蛇や穴熊や猫や蜘蛛やムカデや、その他大勢の来訪者の話題に欠くことはない。小さい人たちは彼らの話が楽しいらしい。
ジャックの学校も、かなり独特なので小さい人の喜びそうな話題が満載なのである。特に捕まえた蛇を調理したジャックの先輩の話は、彼らを黙らせる効果もあった。
5年生の長男は気づけばわたしの膝に座り、あの話して、と、同じ話を何度もねだっていた。朝も学校に行く前に眠るわたしの部屋に来て、わたしの温もりを確かめてから出かけていった。
小さい人たちは、すぐに大きくなるんだろうな、ジャックがそうだったように。
だから小さいうちにたくさん抱きしめておきたいなあと思う。
そして、世の中が変わっていっても、辛いことやしんどいことがあっても、それとはあんまり関係のないところで、動物や虫のことなんかをよくしゃべっていた不思議な女の人のことを、ふっと思い出してほしいなと思う。
ノブマロが、のぶえさん、泊まりに来ないかなあって、言っていますと、ママから連絡があった。またすぐに行くからね。今度はいっぱいあそぼうね。