少女心と草むしり『小泉今日子書評集』(中央公論新社)

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ヘヴンズガーデンの家を借りて、これまでの生活に加わった作業がいくつかあるのだが、想像以上に面倒くさくて、そして想像以上に愛しいのが草むしりだ。

この家を借りるときに気に入ったのが、広い庭だった。

庭は、①駐車場をかねた前庭 ②日本庭園風の中庭 ③畑も作れる裏庭の3つに別れていて、そのすべてを手入れするには、ある程度の覚悟が必要となる。

背の高い植樹は、ゴールデンウィーク辺りに親切な知人らが一気に枝葉を落としてくれてかなりスッキリする。一夏かけて繁り、秋に落葉し、冬を越えて春に花が終わるとまた一気に枝葉を落とす。

これに対して下草は、日常的に手入れしなければあっという間に土が雑草におおわれる。

この下草の手入れが、つまり草むしりが、わたしのやるべき作業のひとつなのだが、つい羊毛仕事や料理に熱を注いでいると手がまわらなくなり、気づくと見知らぬ他人のようなよそよそしい表情になっていて、後ろめたさと申し訳なさでいっぱいになるのだった。

わたしは掃除や片付けがうまくない。

というか、何事につけそうなのだが、真面目に向き合うととことんやってしまうという性分から、いつしかなるべく目を向けないようになった。
とことんやってしまうというのは、表面上はよいことなのだが、下手をすると自分を追い詰めてしまう。自分だけならよいが、共同生活をしていると相手も追い詰めかねない危険な威力を持っているので、そこは手を抜くことにした。
最初は気にはなったが、うまくずぼらになれた。
そういう方向でも、とことんなれてしまうようだ。

さて草むしり。

これにはなんとも言えない心理的影響があると思っている。
もさもさに土をおおう緑を引き抜いていく。裏庭は、野イチゴの地下茎がはびこって、これにはトゲもあるので、つなぎを着て突起物にも耐えうる作業用のグローブをつけ、蛇やムカデに遭遇しても毅然としていられるように、作業用の長靴もはく。

とりあえず一気呵成に野イチゴを引っ張り抜き、目につく雑草をむしりとり、畑を覆い尽くした緑を剥がしていくと、土が見えてきて、気持ち良さそうに日差しを、新しい空気を呼吸し始めるのが見える。
よかったね。お日様が浴びられて。そこには生き生きとした本来の土の息づかいが聞こえそうなくらいの勢いが見える。

そんなときに心に思い浮かぶのが、表題の書評集に書かれた小泉今日子の文章だ。

「…この庭の草むしりをしている時、私は自分の心の奥にひっそりと眠る少女心を手入れしているような気分になり、いつも少し泣きたくなる」


こういう文章が書けるキョンキョンは本当に凄い。
言葉にしたくてもできなくて、でも確かに心理的に働きかけてくる何かは、そうです、そういうことなんですと、この文章を初めて読んだときに唸らされた。

少し泣きたくなる。

この少しが、実はとても大事だったりするのだ。

手入れされた庭は、大人になりきれない気持ちの隠し場所を明らかにされて、気恥ずかしそうにはにかんでいるようにも見える。

もう、後ろめたさや申し訳なさなど感じなくともよい。
堂々と美しくあってほしいと、自分の幼い心にも言ってあげたくなる。

今回は、虫にやられて葉を広げられずにいると思っていた黄色いマーガレットに似た植物の根が、ひどく腐っていることがわかった。抜いて新しい植物を植えようと思う。抜くとき少し力が要った。お疲れさま。腐っていたわたし。そんな言葉をかけてあげたくなるのだった。


明日は、大きな石や灯籠があってなかなか分け入るのが手強い中庭に着手する。
天候が気になるが、早く手入れしてあげたい気持ちで朝を待っている。





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by kakunobue | 2017-07-12 04:27 | 読書日和 | Comments(0)

かくのぶえ フリーライター 日記・エッセイ・詩・イベント情報・こどもメッセージ集。


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